1995年1月17日に被災しました。
それだから、鳥取・島根県の大きな地震を聞き、あの時の辛い思い出がよみがえって来ましたヨ。
大地震の揺れの怖さ
阪神淡路大震災の地震は、未明に起きたので私はまだ布団の中にいました。
私の記憶では、音が聞こえた気がしたのです。
ゴーっという音が。
その後に小さい横揺れがありました。
それで、私はしっかりと目を覚ましましたヨ。
次に大きな横揺れ

ドカンと地面が落ちた時は、事の重大さに気づきました。
さらに、横揺れは大きくなり続きました。
私はこの揺れは、いつ終わるのだろうと不安になりました。
長かったぁ
あの夜から30年も過ぎているのに、あの感覚は忘れられません。
被災した経験を活かして
私は今住んでいる地域の町内会の役員になった時、防災について活動をしたのは、被災した経験があるからです。

画期的な成果を上げましたヨ。
震災が起きた時、町内会は神社に集まる事になっています。
ところが、私の住む地域のグループ40軒程は、神社より高い場所にあります。
神社に行くには急な坂を下らないとならないのです。
私はそれは危険だと主張し、町内会とは別行動をとれる様に働きかけました。
私は成果を上げることに成功しました。

市役所は信用できない
私たちのグループだけは一旦、近所に集まって、そこから私立高校の避難所まで行く様になりました。
そこで私は疑問に思ったのです。

私立高校のどこに防災倉庫があるのだろう?
倉庫の鍵はどうやって開けるのか?
そこで市役所の市民防災課に行きました。
そして、防災倉庫の鍵をもらったのです。
怪しい市民防災課の職員の慌てぶり
その時、私が防災倉庫を見に行くと言ったのです。
そしたら、市民防災課の職員は慌てぶりには驚きました。

なんで?
避難時は勝手に行くことになるよね。
怪しいです。
怪し過ぎです。
私はこれは避難所になってる私立高校に是が非でも行かなければならないと思いましたヨ。

避難所に水が無い
その場で日時を指定して、行くと私は伝えました。
当日、私立高校では、市民防災課の職員が二人も私の為に待機していました。

一緒に防災倉庫を開けて中を点検しましたよ。
そこで私は気づきました。

非常食はあるのに、水が無いよ。
これはおかしい!
私の指摘に対して、市民防災課の職員は防災倉庫の中のタンクを示して説明してくれました。

私には大人数分もの飲料水をそのタンクでろ過できるとは思えませんでした。
さらに、私は決定的なことを言ったのです。

何を言っているの?
この高校にはプールは無いよ。
市民防災課の二人の職員は言葉を失いました。
全くもって酷いものです。

防災無線機は使えない
防災倉庫には防災無線機がありません。
それでは避難所が孤立してしまいます。
すると、市民防災課の職員は学校の中にあると言うのです。
折角来たのだから、私は見に行くと言うと、また彼らは困った顔しました。
それでも、防災無線機のある部屋まで行くと、部屋には鍵がかかっています。
学校側から鍵を借りないと開かないと言うのです。

入れないんじゃ、防災無線機は使えないヨ。
どうするの?
私は怒って、市民防災課の職員に鍵を借りてくる様に言ったのです。
防災無線機は点検していない
暫くすると、学校の職員をともなって市民防災課の職員が戻って来ました。
学校の職員に部屋の鍵を開けてもらって、また驚きました。
部屋には学校のバインダーやファイルなどが足場のないくらい積まれています。
防災無線機はその奥の壁際に置かれていました。

辿り着くにはバインダーをどかして近づいて行かなければなりませんでした。
しかも、防災無線機は埃を被って汚いです。

防災無線機、点検しているのですか?
私は学校の職員に尋ねると、首をかしげるばかりです。
すると、市民防災課の職員は、一年に一度、点検していると言うのです。
それを聞き、私は苦笑するしかありませんでしたよ。

埃をかぶった状態なのに、よく臆面もなく言えるなぁ
市民防災課の職員はサボっている
私立高校から帰る時に、私は市民防災課の二人の職員に対して言いました。

こんなんでいいのか?
あんたがたサボっているとしか言えないよ。
すると、言い訳にならない様なことをグズグズ言うではないですか?

私は、一市民として説教してその日は帰りました。
私が嫌な気持ちになること
この様な役所の仕事ぶりは私の住むところだけではないのでしょうね。
大きな地震があると、私は被災した頃の辛い思い出が蘇って来ます。
それに加えて、役所への不信感が湧き上がって来ます。
災害現場を伝えるニュースでは、役所の怠慢や無能ぶりは指摘されることはありません。
だから、ニュースを見るとなんか腹が立つのです。


